家探しが進んでくると、ある段階で独特の空気になることがあります。
間取りも、立地も、金額も、大きな不満は見当たらない。
条件だけを見れば、「もう十分じゃないかな」と思えるところまで来ています。
奥さんの表情は前向きで、「私はここ、いいと思うよ」と言っている。
それなのに――最後の最後で、男性の足が止まることがあります。
口に出る言葉は、こんな感じです。
「悪くはないと思うんだよね」
「気になるところがあるとしたら、そこくらいで…」
「致命的ってほどじゃないとは思うけど」
そう前置きをしたうえで、最後にこう言います。
「君はどう?」
「君はどう思う?」
この言葉を聞くと、
言葉の表面だけを見れば
「まだ物件に迷っているのかな」と思われがちです。
でも実際には、
そうでないことがほとんどでした。
Contents
「怖い」の正体は、家じゃない
この段階で、男性が不安に感じているのは――実は家そのものではないことが多い。
ローンでもなければ、立地でも、相場でもない。
じゃあ、何が怖いのか。
答えは、とても単純です。
この選択をしたその先の責任を、自分が引き受けることになる
――その実感が、ようやく現実味を帯びてきた。
家を決めるというのは、書類にサインをすることではありません。
これから先の生活、毎月の支払い、家族の変化、もしもの出来事。
そうしたものを、「自分の判断として受け止める」その瞬間が近づいている。
だから、足が止まる。
「君がいいならいいよ」の正体
「君はどう?」
「君はどう思う?」
この問いかけは、
一見すると“判断を相手に渡している”ように聞こえます。
でも私は、
そう単純な話ではないと思っています。
むしろ逆で、
責任を感じすぎている人ほど、
最後にこの形でボールを預けたくなる。
「自分が決めた」と言ってしまうのが怖い。
でも、「反対」と言うほどの理由もない。
もし将来、何かあったときに、
それをすべて“自分一人の判断”にしたくない。
そんな気持ちも、
この問いかけの中には含まれています。
だから一番安全そうな形で、
相手の反応を確かめる。
その結果、
最後は「君はどう?」になる。
ここには、
二つの気持ちが同時に入っています。
ひとつは、
本当は前に進みたいという気持ち。
もうひとつは、
もし間違っていたらどうしようという怖さ。
だからこの言葉が出たとき、
私は“迷っている”とは思いません。
一人で責任を背負わない形を探しているだけだと思っています。
前に進めた理由は「勇気」じゃない
このとき、ご主人が急に強くなったわけではありません。
不安が消えたわけでもない。
ただ、一人じゃないと分かっただけです。
それだけです。
家を決める直前で男性が怖くなるのは、弱いからでも、優柔不断だからでもありません。
家族を大事に思っているからこそ、簡単に「決められない」だけです。
私は、その気持ちを否定しません。
急がせることもしません。
ただ、「一人で抱えなくていい」ということだけは、必ず伝えるようにしています。
決めなかった場合に起きやすい、もう一つの後悔
家探しでよくあるのが、「決めた後の後悔」ばかりが語られることです。
でも実際には、決めなかった後の後悔も、同じくらい多い。
あのとき、「もう少し考えよう」と見送った家。
数か月後、同じ条件で探そうとしても、同じものは出てこない。
価格が上がっていたり、エリアが変わっていたり、そもそも選択肢が減っていたり。
そうなると、判断の軸が少しずつズレていきます。
「本当はこういう暮らしがしたかったはずなのに」
「いつの間にか、条件だけで探している」
これは、決断をしなかったことが原因というより、
考え方を整理しないまま時間だけが過ぎた結果です。
「決めること」と「急ぐこと」は、まったく別
私は、無理に決断を迫ることはしません。
でも同時に、「ずっと決めないままでいること」も、必ずしも安全ではないと思っています。
大切なのは、早く決めることでも、遅く決めることでもありません。
納得できる基準を持って決めること。
その基準がはっきりしていれば、たとえ結果が思い通りでなかったとしても、後悔は小さくなります。
逆に、基準が曖昧なまま決めた場合は、あとからいくらでも不安が湧いてくる。
だから私は、「今すぐ決めましょう」とは言いません。
代わりに、「何を大事にして決めるか」を一緒に確認するようにしています。
実はその考え方については、別の記事で詳しくまとめています。
➡ なぜ私は、家選びで「考え方」を一番大事にしているのか
(家探しで迷ったとき、物件より先に整理してほしい判断の軸について書いています)
私が「背中を押す」ときの基準
それでも、ある瞬間には、私ははっきりと意見を伝えます。
それは、条件が揃ったからでも、相場的にお得だからでもありません。
・家族で大事にしたいことが整理されている
・迷いの正体が、家ではなく「不安」だと分かっている
・一人で抱え込もうとしているだけだと感じたとき
この3つが揃ったときだけ、私はこう言います。
「ここまで考えてきたなら、もう十分だと思いますよ」
それは、決断を急がせるためではありません。
一人で悩み続けさせないためです。
最後に
家を買うという判断は、正解か不正解かで測れるものではありません。
その家族にとって、そのタイミングで、その考え方で選んだ。
それが、一番大事なことだと思っています。
もしこの文章が、「もう少し自分たちの考えを整理してみよう」そう思うきっかけになったなら。
あるいは、「一人で背負わなくていいんだ」そう感じてもらえたなら。
それだけで、この文章を書いた意味はあったと思っています。